初めての推しのお誕生日を過ごして
どうもこんにちは。きよみと申します。クソデカ感情学園に籍を置いておりまして、ツイートにもお手紙にもならないクソデカ感情をなんとかここで文字にしています。
だいたい事情がわかる方しかお読みでないと思いますが、前提を共有しますと、文中の「推し」「彼」というのはMeseMoa. フォーゲルさんのことです。
このブログは推しの素晴らしさを私があらためて言葉にするものではなく、自分のことばかり書いているものです。人に伝える気のない文ですみません。完全に自分の頭を整理するために書いたので、本当に言葉が足りなくて何の話?ってなると思います。
2020年8月、フォーゲルさんが自身のお誕生日に際して6日深夜から7日にかけて行った配信をうけた感想のようなものを以下に記します。
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アイドルとファンが、こんなにも「両思い」である世界を私は知らなかった。
悔しい気持ちも、それがきっと自分より相手のほうが大きいのではないかと思う気持ちも。
会いたい気持ちも。
楽しそうに、元気にしていることが一番だと思う気持ちも。
忘れてなんかいない気持ちも。
ありがとうと言いたい気持ちも。
もらったぶん、お返ししたい気持ちも。
こんなに一緒なことがあるのか、と。
彼の中に、緑推しに伝えたいことがたくさんあったことを知った。
彼が、何かしたらレスポンスがくる関係性を幸せだと、大切だと思っていること、忘れてないよと伝えたくなること、気持ちをステージにのせていること、そうしないと伝わらないと思っていることを知って、あらためて、彼の言葉や表現を振り返っていた。
例えば、ソロライブ。
https://lineblog.me/musumen/archives/8442550.html
「僕にできること すべてでその笑顔を 守るよ」
「抱えたモノすべて 僕にも預けてほしい 二人なら分け合える」
「君の瞳に涙はもう似合わないから」
「未来を右手に 左にキミのLove」
それでも伝えたい歌詞や
本気でそう思ってるって気持ちを
身体やテンションなどで伝えようとしないと
配信では難しい!見てくれた方に全力出しました!もうなんもできません!って位やろうと。
そう決めて臨んだライブでした。
彼はブログでも配信でもよく歌詞や楽曲のストーリーに言及していると思う。
彼が歌いたかったと言ったのは、ただ良い歌詞だなあ歌いたいなあというだけではなく、本当に、本当に伝えたかったからなんだ、と、あらためて受け取った。
そして、そっくりそのまま、お返ししたい。
『僕にできること すべてでその笑顔を 守るよ』
また、そんなソロライブやペアライブなど、この期間の彼を見ていて思ったことを先日のトークコール会で伝えることができた。
それに対して彼は、思うところを話してくれたうえで、「真摯に受け取ってくれて嬉しかった」と口にした。
また別のお電話でソロライブの感想を伝えたとき、彼は「しあわせ〜〜〜」と、ごく幸せそうな声をきかせてくれた。
彼が感謝してると言う“緑推し”に、私は入ってはいないと思う。ずっとみてきたわけじゃないから。
— きよみ (@mmuggd) 2020年8月8日
でも、だからといって、1対1の場で言ってくれる、幸せ、ありがとう、という言葉すら私に向けられていないというのは彼にも失礼な気がして、受け取らないわけにはいかない。受け取っても良いのだろうか。
彼が受け取ってほしいと思っていたことを私が受け取って、それを彼に伝えたことを、嬉しいと思ってくれた、と、
私とおはなしするなかで、彼は幸せと感じてくれた、と、
そう受け取ることを彼が望んでいると思っても、良いのだろうか。
彼が私に言ったことの背景には、たくさんの緑推しさんへの思いが積もっているように思う。私に対してというよりは、いろんなことが重なって、私にもそう言ってくれているような。
— きよみ (@mmuggd) 2020年8月8日
でも、だとしたら、彼の緑推しへの気持ちを表明する先として、私も少しはいさせてもらえていると捉えていいのだろうか。
8月7日はほとんど外野から緑推しさんと御本人の関係を眺めていたけれど、もし彼の気持ちを受け取りそびれていたら彼はまたもどかしく思うのではないかと、おそるおそる彼の言葉を、表現を、自分事として捉えてみる8月8日を過ごした。
— きよみ (@mmuggd) 2020年8月8日
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お誕生日の配信で、本来の計画通りの動きができなかったこの数ヶ月を振り返った彼は、悔しかったと言った。
センターをつとめる烏合之衆のリリイベやそれをひっさげてまわれるはずだった全国ツアーができない状況にあって、フォーゲルさんは明るく振舞っていた印象があった。
彼が、自分がセンターのCDを手にした笑顔の眩しさ。
この曲は俺が背負うんだ!と記した強さ。
彼はそう振る舞う役割を担っていたんだと思うし、それはきっと彼を応援している人が前を向く力にもなったんだろうと思う。
その姿はたしかにとてもかっこよかった。
でも、
3月12日のYoutube配信ライブで彼が、「この曲は自分に注目していただいて」と烏合之衆の曲振りをしたとき、ついに私は「そんなにひとりで背負わなくて良いのに」と明確に思ってしまった。
周りに素晴らしい仲間がいるのはあなたが一番知っているのに、ひとりで全部、その一曲だけじゃなくこの状況のなにもかもを背負ってしまっているんじゃないか、と心配になってしまった。
彼のこともいろんな事情もなんにも知らないし、余計なお世話だし、彼自身とずっと見てきた緑推しさんたちのほうが何倍も悔しい思いやもどかしい思いを抱えているはずだから、私がひっかかってしまったことをどこかに出すことはなかったけれど、この数ヶ月、ずっと心の奥底にはそんな気持ちがあった。
でも、そんな気持ちすらも、お誕生日の配信で彼自身がきちんと悔しがっていたと口にしてくれたことで、浄化してもらってしまった。
悔しかったと言葉にして、ご自身の悔しい気持ちも、ずっとみてきた緑推しさんの悔しい気持ちも認めて、いろんなひとのその類の気持ちまでも昇華して、前に進めるようにしてくれた。
「良いんじゃないですか、ちょうど。なんか、推しがそう言ってるからいいかって。きょう区切りに、持ってた後ろについてたもの切ろう、って。」
自分のお誕生日をそんな日にしてくれるアイドルがいるなんて、知らなかった。
配信で彼は、「もちろん状況は最悪ですけど、でもその中でもすごくいい年なので」とも言った。
良い年になっているんじゃなくて、良い年にしているのを、私たちはよくわかっている。挑戦して、成長する姿を見せてくれて、いつもと違う環境なのにもかかわらず、しっかりひとを魅了している。
それはきっととても難しいことなのに、ひとつひとつ丁寧に大切に取り組んでいるからこそ、私は彼から、彼が受け取ってほしいと思っていたものを受け取れたんじゃないだろうか。
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彼は配信の終わりにこう言った。
「幸せなひとときでした。」
彼の2020年8月7日に、幸せを感じられる時間があってよかったと、心から思います。