航跡
※フォーゲル聖誕祭2022、その他個人配信等をご覧でない方にはやさしくないタイプの文章です。
MeseMoa.全国ライブハウスへ行こうよ香川公演の日、高松で会った東のオタクに「終電逃したらフェリーで帰る」と言ったら、たいそう驚いて笑っていた。西で生まれ育った私はその反応に驚いて笑った。そうか、船という交通手段、身近じゃないのね。
私はこれまでの人生で何度も船に乗ってきた。
フェリーに乗って移動してきたのは主に瀬戸内海周辺だけど、私は太平洋が好きだ。
太平洋は広くて、あかるく開けていて、水平線が見える。ほら瀬戸内海ってすぐ島あるから。あと日本海はなんか夏でも雰囲気が寒々しい気がする。いや失礼、これは馴染みの問題だな。
「みんなは乗ってくれたと思ってるんです、フォーゲルの船に」
良い船長の船を選んだなと思う。
私は2年半前、その船が緊急で停泊していたところに乗り込んだ、ようなかたちだったと思う。
突然たちこめた濃霧がいつ晴れるかも、大しけがいつおさまるかもわからなかったし、
それでも続けた航海を順風満帆だと言えるのかも私にはわからない。
けれど少なくとも私にとってこの船旅は安全で、かつ退屈とは程遠くて、
飽きる暇もなく楽しんでいたら、いつの間にか船長の目指す場所が肉眼で見えるようになっていた。
2020年のセレクトペアライブを機に、緑推しには「放牧の民」とか「放牧民」というファンネームのようなものができた。
生配信の場で「ようた民」をもじってぱっと出てきた言葉のようだったけれど、かなりフォーゲルさん推しにフィットした名だと私は感じている。
私も彼が好きなことややりたいことを楽しくやって暮らしていてくれればそれはすごく幸せだと思っているし、
そのうちの少しでも、彼の気が向いたときに「みてみてー!これやってみたー!」って見せてくれたりなんかすると、とびっきりうれしい。感謝するし褒める。
彼はこういう、好きなことをやってみせたらそれをよろこんでくれる、というところをすくいとって、緑推しはフォーゲルを好きにさせてくれる、放し飼いしてくれる、放牧の民、と表したのだと思う。
もちろん「これやったからみてー!たのしかったのー!」って見せてくれるときも、彼は見ているひとのことを全く考えていないわけじゃなくて、これ持ってったら喜ぶかなーって、少しは(というか実際はちゃんと)想像してくれているとは思うけれど。
でもときどき明確に、「はい、これ、緑推しに」ってプレゼントしてくれるときがある。
こっちはあなたが好きなことやって楽しそうでいてくれればそれで万々歳なのに、
「これ緑推しのことおもいながらつくったの!受け取って!」なんて持ってきてくれた日にはもう。
聖誕祭の『あの夢をなぞって』はまさに、「緑推しに」と大切につくってくれたものだった。
「緑推し」とあえて呼んでもらえるだけで心の芯に触れられたようにうれしいのに、
緑推しのことを考えながらたくさん準備をしてくれて、想いもエネルギーもいっぱい込めて踊ってくれて。
私の身体を全部うつわにしてもうけとめきれなかったその熱が、そのままあふれて涙になった。
待ち焦がれていた景色と重なる
夏の空に未来と今
繋がる様に開く花火
君とここでほらあの夢をなぞる
「絶対にみんながみたい俺は武道館にあるから」
「俺がみたかったあの景色に、いてください」
そうずっとこの景色のために
そうきっとほら二つの未来が
今重なり合う
「放牧の民」の名付け親であるフォーゲルさんはオタクがフォーゲルさんを放牧しているように言うけれど、私はどちらが飼われているんだか……ともしばしば思う。
フォーゲルさんはこちらに対して感謝こそたくさん伝えてくれるけれど、ああしてとかこれはしないでとか、推し方についてはあんまりどうこう言わない。
お時間があったら、もし見てみようかなって思ったら、それぞれのタイミングで、無理せず、したいと思えるときに、好きなように楽しんでもらって。そういうスタンスの言葉をつかうことが多い。
自分をみているひとそれぞれに現実の生活があることを踏まえた、やさしくて冷静な言葉だと思う。
飼うと言ってもリードで繋ぎ止めるようなことはしなくて、だけどいたいときにいたいようにいられる楽しい場をいつも整えてくれている。
私は彼のこのスタンスを心地よいと感じているし、この放し飼いが成立していることにある種の信頼を感じるのも好きだ。
そんな彼が、
日頃は 好きなときに、タイミングが合えば、と微笑む彼が、
ストレートに「みてほしい」と声に出す姿は、
そこにそれだけ強い気持ちがあることの表れだと思う。
「みてほしい。みにきてほしいです。」
聖誕祭で彼は、武道館公演について、そこにいる自分について、はっきりとそう口にした。
私にとって印象深い彼の「みてほしい」は、2020年のソロガチャ祭りでGEEKDOMを披露する前の個人放送で言ったものだ。
そのときも今回も、自分のなかからわきあがるものがあって、届けたい思いがあって、みせたいものがあって、
そんなときに彼はストレートに「みてほしい」と言ってくれるのだと思う。
「みんなと武道館に行けたらいいなって俺はすごく思ってる」
そう語る彼の声は強くて、熱がこもっていた。
夜を抜けて夢の先へ
辿り着きたい未来へ
本当に?あの夢に、本当に?って今も
不安になってしまうけどきっと
「武道館で待ってます」
あの未来で待っているよ
この一年の抱負として(といっても考えているふうではなかったけれど)、彼は「日常を日常のまま過ごせたらいいな」と言った。
寝て起きたらスキルがカンストしてるなんてことはなくて、でも、だからこそ、昨日より今日、今日より明日、少しずつ日常を重ねて。
繰り返しのような日々が
道筋に なってゆく
日々を重ねるその姿を、その道のりをみせて。
何気ない日々の延長線上にある
難解な (難解な) 難解な道を歩こう
そうすれば、2023年3月14日には。
気付けば花は咲くから
きっとその日々そのものも、その先にステージにいる彼も、フォーゲルというアイドルのかたちなんだろう。
ここに立てるのか不安で
目に見える約束もなくて
無我夢中で零した涙
振り返れば道のように輝いてたんだ
船が通ったあとにたつ白波は、振り返れば道のように輝く涙と同じだ。
10年かけてアイドルになった、と言う船長と、彼の描く航跡を、
あと1年と4ヶ月、見つめていたい。
歌詞
パシフィック展望台/MeseMoa. (作詞:halyosy)
あの夢をなぞって/YOASOBI (作詞:Ayase)