うれしいが口ぐせになる一ヶ月

 

『烏合之衆』『アワアワ』『殺生石セッション』発売記念フリーライブ・『烏合之衆』『アワアワ』発売記念特典会が、終わった。

 

 

このリリイベ期間、「うれしい」が口癖になった。

 

 

推しのセンターをお祝いする機会があってうれしい。

お祝いできてうれしい。

推しがみんなにお祝いされていてうれしい。

 

彼が楽しそうでうれしい。

 

彼のセンターをつとめる姿がみられてうれしい。

彼のセンター曲がうれしい。

彼が・彼のセンター曲がこう扱われてうれしい。

センター曲以外でも彼が活躍する場面がたくさんあるフリーライブでうれしい。

 

推しのセンター曲のリリイベがこんなにうれしいものだと知れて、うれしい。

 

 

 

 

私がフォーゲルさんのお名前とお顔を覚えて好きになっていくのは、2019-2020のカウコンで彼がセンターをつとめることが発表されてから2,3週間のうちのできごとだから、私が彼を好きになってからずっと、烏合之衆のリリースイベントは未来にあるものだった。

明日からそれが過去になった世界を生きると思うと不思議な気持ちになる。だってオタクとしての私は2年もその状態で生きてきたし、未来に烏合リリイベがない世界を生きるのは初めてなのだ。

 

 

 

2020年夏、烏合之衆の次の新曲の制作が発表されたとき、

それ自体はよろこばしいことだしこの状況で前に進めるなんてなおさらすごいことだ、でもそれはそれとして烏合期間が終わってしまうのは寂しい、新曲が披露されても烏合はこれからもずっと大切だよ、それにまだできていないリリイベが終わるまでは烏合期間が完全に終わったわけじゃないと思うし……と複雑な気持ちを抱いた。似たような感想をこぼす緑推しもみかけた記憶がある。

 

 

 

4月の幕張で披露されたときは、ライブのひとつのクライマックスと言っていいくらい、エネルギーを注ぎ込んだ演出が施されていた。

りっぱな映像に音源のアレンジ、照明だってかっこよかった。センターステージから花道を駆け抜けメインステージへ、高所もつかって、特効まで!

パフォーマンスもさることながら、推しのセンター曲が、あんなにもかっこよく、豪華に、特別に扱われたことが、うれしかった。

 

 

 

LOST NUMBERツアーでは、こういう情勢になってからは初めての関東外でのライブが開催された。

薄々感づいてはいたけれど、“行ける人”は行こうと思えば遠征にも行けるしいろんなものを何回も生でみている、行けない人はなかなかどこにも行けない、という状況になっていた。私の観測範囲では。

“行ける人”の中では、だんだん烏合が特別なものでなくなってきている雰囲気も伝わってきた。

それはきっと、感動が薄れたとかではなく、例えばライブ定番曲になっていくような良い変化であったと思う。

 

だけど私はそれを感じていなかったし、私の中ではまだまだ特別だった。

何回だって「烏合を生でみるまではしねない」と言ってきたし、本気でそう思っていた。

 

 

 

2021年9月、“センター”が明言されるタイプの新曲の制作が発表された。

その頃には私はライブに足を運べるようになっていて、中野サンプラザでとみたけさんと薄桃推しのみなさんに心から拍手をおくった。しあわせに泣いた。

 

私が「この人がセンター!」と発表される段階から体験するのはこれが初めてだったから、そこから殺生石セッション(のとみたけさん)と烏合之衆(のフォーゲルさん)を重ねる日々を勝手に始めてしまった。

お披露目までの期間に不安をこぼすとみたけさんをみては、フォーゲルさんはどうだっただろうかと思ったし、

自分がリリイベを楽しみにしていることを自覚しては、これが突如なくなったらどんな気持ちになるだろうかと想像した。

 

 

それから、“センター”というものの私の中での解像度も上がった。

とみたけさんがセンターの殺生石セッションは、「とみたけさんがセンターだからこうなった」という要素がたくさん感じられた。

楽曲自体はもちろん、振付やMV、衣装だってそうだ。

ただ立ち位置が真ん中だとか目立つとか、そういうことだけじゃない、

関わるひとみんなの頭のまんなかにとみたけさんがいる。

私は殺生石セッションのとみたけさんの“センター”にそう感じた。

 

 

 

殺生石の特典会で、私はまだ烏合を生でみたことがないとフォーゲルさんに話したとき、ネタバレではないもののきっとカウコンでやるんだろうなと読み取れる、大人の匂わせみたいな会話が続いた。

だから2021年12月31日は、ついに私の目で烏合之衆をみる日が……と思いながら水道橋に向かった。カウントダウンなんて二の次だった。

きっと泣いてしまうけれど、涙が流れても気にせずこの目でみつづけるんだと決めていた。

 

幕張のあの演出で、烏合之衆が始まった。ああ、りっぱに特別に演出されている。その扱いがうれしい。

かっこいい。推しの声、頼もしい背中、配信にのらない推しの姿、全部生で、自分の目で耳で、ずっと感じていられる。

全部おぼえていたいのに、その瞬間をとらえるのに精一杯だ。ペンライトを振る余裕なんてない。

 

5分もある曲なのにずっと泣いていた。手に力が入りすぎて、握ったペンライトがきしんでいた。

 

 

 

幕張ではGALAXY.5を、カウコンではそれらも含むこの2年を取り戻すような演目・演出がたくさんあった。

このところの公演は、今まで配信でしかみられていなかったけど今回初めて生でみられて……というひとがいることを前提につくってくれているんじゃないかと感じる場面が度々ある。

 

フォーゲルさんは2020年11月の烏合之衆有観客初披露後に投稿したブログにこう記してくれている。

https://lineblog.me/musumen/archives/8454114.html

 

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個人的な気持ちとしては

今回初披露はできたけど

また会場に人を入れて披露できる機会が

あった時は、初めて見てくれる人がいるって

言うことを頭に入れて気合い入れて

センター曲を披露するし

緑推し・イルミィが全員見たかもって

思うまでいつだって初披露の気持ちで

歌い踊らせてもらうつもりでいるから

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有観客初披露後のブログなのに、その場にいられなかった層にむけた言葉が並んでいる。

 

翌月の特典会でフォーゲルさんとおはなししたとき、これが本心だとあらためて伝えてくれた。

実際、この初披露以降も本当にちゃんと気合が入っていることが伝わるパフォーマンスをし続けてくれた。

だから、このブログの言葉は嘘じゃない、きっと今も思ってくれている、とずっとずっと信じていられた。

 

お披露目以来配信で何回もやってきて、外部イベントでも披露して、表現の段階が上がって、みえかたの幅が広がって、観客の目の前でも何度もやって、特別な演出がついたりもして。いろいろな烏合之衆を、画面を通してみてきた。

こんなに回を重ねていろんな烏合之衆ができるようになってなお、これが誰かにとって初めて生でみる烏合之衆かもしれないという姿勢が消えることはなかったと思う。

毎回そうやって気合十分で演ってくれるから、私は自分が初めて烏合之衆を生でみるのが発表からちょうど2年のカウコンだったことも、笑顔でおいしく味わうことができる。

 

 

 

そしてその、2022年を迎えたカウコンで、今回のリリースイベントが発表された。

 

私が彼をみてきた期間のほとんどが、予定されたことが実際にその通りできるかなんて分からない世界だった。予定通り開催されて終わっていくことがすごいこと、よろこばしいことだと、私も知っているつもりだ。

 

だから、終わるのは、すごい。でも、終わるのは、さみしい。

 

 

 

 

初日宮城。

予定通りリリイベの幕が上がってうれしい。

 

 

思うようにライブが開催できないことが続いた大阪。

自分の身近な土地で烏合がきけてうれしい。

 

 

以前のフリーライブのように商業施設で開催された福岡。

初めて屋外で披露されて、いろんなひとの目や耳にこの曲が届いてうれしい。

 

 

東京は池袋、サンシャインシティ噴水広場。

360度下から上までたくさんのひとのど真ん中で舞う推しが楽しそうでうれしい。

 

 

ラストの愛知。

お披露目予定だった地で、2年越しに完走できてうれしい。

 

 

重なって響く歌声、揃う足音、立ち止まるひと、読み慣れない「め、せ、も、あ?」。

 

 

あなたがだいすきなメンバーと

あなたがだいすきなメンバーをだいすきなみんなと

あなたをだいすきなわたしたち、

そのまんなかで舞う楽しそうな姿。

 

あなたはこんなにも、まんなかが似合う。

 

 

 

 

2020年3月6日、“推し”という概念がなかった私は、FCの推しメン登録欄でフォーゲルさんを選ぶと同時に、自分の推しはフォーゲルさんだと初めて認識した。

MeseMoa.を応援したくて、フォーゲルさんを応援しているひとがここにもいると伝えたくて、『烏合之衆』を買って、サインチェキに「みどりおしさんへ」と書いてもらった。

 

それから2年。

2022年3月6日、『烏合之衆』の発売を記念したイベントがすべて終わった。

 

 

 

 

このリリイベ期間の特典会で、2年越しだからこそ私がリリイベに参加できたことについてフォーゲルさんが触れてくれることが何度かあった。

「間に合ったみたいなとこあるよね。もしあのままやってたら、来れてた?」と、今だからこそ私が来られたことに笑顔をくれた。

「この期間があったからこそみられたひとがいる」と、私がそうだからこそ伝えてくれた。

 

フォーゲルさんは烏合リリイベのことを「二度おいしい」と言ってくれた。

苦いことだってたくさんあったはずの2年間を、“二度”になったことを、おいしいと言える材料のひとつになれていたら、うれしい。