2023年8月

推しがいなくなっても、私はかんたんに死んでしまうわけじゃない。大人だから知っている。結局夜は明けることを。

だけど、だから困っている。いっそ消えられたらいいのにとすら思う。そう思うくらい私は大人で、こどもだ。

(ああ大丈夫です死んだりしません、私にそんな勇気があったらもうとっくに人生に幕をおろしているので。)

 

 

 

このところ、めせもあ。のオタクをやっているだけで目に入る界隈の、いくつかのグループが夢破れるのを観測した。実際にはこの数年できっと数え切れないほど多くのグループが道半ばで夢を諦めているはずだ。目標だった幕張メッセに行けなくて、日本武道館に行けなくて、あるいは。

 

推しが夢をかなえられなかったらどうなるのか?いつまでに、何ができなければ、どうなっていた?

撤退ラインなんて私は考えたことがなかった。大人なのに。

 

 

私は推しに、めせもあ。に、夢をかなえる姿ばかりみせてもらっていたんだな、と思った。

 

 

私は誰か・何かを推すことが初めてだから、武道館にたつことがどのくらい難しくて、どのくらい現実的でないかわからないまま、そして本当にかなうと信じていたかも自分でも定かではないまま、何年も「日本武道館」を目標に掲げる彼らをみてきた。

 

各地で目標を口にしてまわっていたフリーライブで、日本武道館公演が決定したことを告知する日がきて、

今は、その武道館公演を終えたこと、横浜アリーナ公演が決まったことをお知らせしながら全国を回っている。

 

 

卒業を発表した推し、フォーゲルさんは、それ以来もずっと私たちの前でそれはそれは楽しそうにしている。ステージで舞う彼を見て「このひと本当にやめるんだ……?」と何度も思った。

こんなに楽しそうなことを手放してまで進みたい次のステージがあることにうらやましさすら覚えた。

 

 

 

フォーゲルさんは今までも、自分のやりたいことを仕事にしたり、決めた目標を達成したり夢を実現させたりしてきたように私には見えている。

フォーゲルさんはちゃんと自分で自分の道を選んで歩いてそれを正解にしていけるひとだと思うし、私はそれをかっこいいと思っていて、尊敬している。

 

きっとこれからもフォーゲルさんは、選んだ道を正解にしていけるし、

やりたいことに挑戦したり目標に向かって努力したりできると思う。

 

 

私は未来の不確定なことについて予想したり断言したりするのがあまり得意ではなくて、

フォーゲルさんの卒業後のことについても、次にやりたいことが何なのか具体的に知らないまま「応援してるよ!」なんて手放しに言うのは無責任に感じてしてしまって。

 

だけど、聖誕祭を経て、

卒業まで応援することが、すなわちそのあとのフォーゲルさんを応援することになるのかもしれない、と考えられるようになった。

 

 

フォーゲルさんが次にやりたいことが実現すること自体をうまくまっすぐ応援できない私だけど、

フォーゲルさんがこれからも自分の選んだ道を正解にしていけるひとであるといいな、とは思えるから、

 

 

ゴールテープとスタートラインの重なる場所まで一緒に走って、そこで思いっ きり背中を押すんだ。

 

 

 

 

これからの8月も、フォーゲルさんの中の人が、幸せを感じられますように。

 

 

 

 

 

 

Messa9e Moreとロクブンノキュウ、“MeseMoa.のライブ”というもの

ロクブンノキュウ5月の公演が終わり、MeseMoa.のライブがなかった土曜日。

結局武道館公演のことタイムリーにお手紙にできなかったな〜と思いながら3月に自分が書きのこした感想を見返していたら、これロクブンノキュウをみている今も同じこと思ってるな、と感じる文章を見つけた。

 

「武道館の感想、『楽しかった』に尽きると思う。いろいろ考えたけど、いつものMeseMoa.のライブのように、その日も、とびきり、楽しかった。」

 

 

武道館、Messa9e More、本当に楽しかった。

武道館を出てたくさんの人の中を歩きながら、楽しかったなあ、これが MeseMoa.の楽しいのつくりかただよなぁ、と何か納得するような感覚があった。

彼らの夢のステージで私がみたのは、“知っているMeseMoa.”だった。

 

 

ロクブンノキュウ、

グループで大きな役割を担っている3人がお休みして*1、9人が6人になるという、あまりにも大きな変化を伴うツアー、

のはずなのに、私は6人のステージをみて “MeseMoa.のライブをみている” と感じているし、「楽しい!」と声を大にして言える。

例えば今度開催される[三原色の舞]みたいに、ロクブンノキュウも、期間限定6人ユニットのスペシャルツアー!のようなテイストになってもおかしくないはずなのに、

6人ではあるんだけど、たしかにMeseMoa.というグループのライブツアーだ、と私は感じている。

しかもこれがまた超楽しい。すごい。

 

 

私は何をもって“MeseMoa.のライブ”と感じているんだろう、何が彼らのライブを“MeseMoa.のライブ”たらしめているんだろう。

 

感謝をぎゅっとつめこんで、楽しい!でラッピングして、愛のリボンをかけたようなMessa9e More。

かっこよくてかわいくて、ドキドキしてわくわくして、おもしろくて楽しくて、ずーっとステージにひきつけられて、心がいろんな方向にたくさん動かされて、推しを・6人を・9人を応援したい気持ちになるロクブンノキュウ。

 

MeseMoa.のみなさんの持つ想い、伝えようとしてくれるメッセージ、それを届けて心を動かすパフォーマンス、そのための日々の姿勢、

それに呼応するイルミィのリアクション、さらにそれを受け取ってくれるメンバーのみなさんの反応。

そういうものが、MeseMoa.のライブをMeseMoa.のライブたらしめるものなんじゃないかと、Messa9e More・ロクブンノキュウを通して感じている。

 

 

ロクブンノキュウ後半も、その先の公演も、だいすきなフォーゲルさんと、フォーゲルさんがだいすきなみんな(広義)と、一緒に素敵な空間をつくっていけたらうれしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:野暮注釈;大きな役割を担っていないメンバーなんていません。

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航跡

 

※フォーゲル聖誕祭2022、その他個人配信等をご覧でない方にはやさしくないタイプの文章です。

 

 

 

 

 

MeseMoa.全国ライブハウスへ行こうよ香川公演の日、高松で会った東のオタクに「終電逃したらフェリーで帰る」と言ったら、たいそう驚いて笑っていた。西で生まれ育った私はその反応に驚いて笑った。そうか、船という交通手段、身近じゃないのね。

私はこれまでの人生で何度も船に乗ってきた。

フェリーに乗って移動してきたのは主に瀬戸内海周辺だけど、私は太平洋が好きだ。

太平洋は広くて、あかるく開けていて、水平線が見える。ほら瀬戸内海ってすぐ島あるから。あと日本海はなんか夏でも雰囲気が寒々しい気がする。いや失礼、これは馴染みの問題だな。

 

 

 

「みんなは乗ってくれたと思ってるんです、フォーゲルの船に」

 

良い船長の船を選んだなと思う。

 

私は2年半前、その船が緊急で停泊していたところに乗り込んだ、ようなかたちだったと思う。

突然たちこめた濃霧がいつ晴れるかも、大しけがいつおさまるかもわからなかったし、

それでも続けた航海を順風満帆だと言えるのかも私にはわからない。

けれど少なくとも私にとってこの船旅は安全で、かつ退屈とは程遠くて、

飽きる暇もなく楽しんでいたら、いつの間にか船長の目指す場所が肉眼で見えるようになっていた。

 

 

 

2020年のセレクトペアライブを機に、緑推しには「放牧の民」とか「放牧民」というファンネームのようなものができた。

生配信の場で「ようた民」をもじってぱっと出てきた言葉のようだったけれど、かなりフォーゲルさん推しにフィットした名だと私は感じている。

 

私も彼が好きなことややりたいことを楽しくやって暮らしていてくれればそれはすごく幸せだと思っているし、

そのうちの少しでも、彼の気が向いたときに「みてみてー!これやってみたー!」って見せてくれたりなんかすると、とびっきりうれしい。感謝するし褒める。

彼はこういう、好きなことをやってみせたらそれをよろこんでくれる、というところをすくいとって、緑推しはフォーゲルを好きにさせてくれる、放し飼いしてくれる、放牧の民、と表したのだと思う。

もちろん「これやったからみてー!たのしかったのー!」って見せてくれるときも、彼は見ているひとのことを全く考えていないわけじゃなくて、これ持ってったら喜ぶかなーって、少しは(というか実際はちゃんと)想像してくれているとは思うけれど。

 

でもときどき明確に、「はい、これ、緑推しに」ってプレゼントしてくれるときがある。

こっちはあなたが好きなことやって楽しそうでいてくれればそれで万々歳なのに、

「これ緑推しのことおもいながらつくったの!受け取って!」なんて持ってきてくれた日にはもう。

 

 

聖誕祭の『あの夢をなぞって』はまさに、「緑推しに」と大切につくってくれたものだった。

「緑推し」とあえて呼んでもらえるだけで心の芯に触れられたようにうれしいのに、

緑推しのことを考えながらたくさん準備をしてくれて、想いもエネルギーもいっぱい込めて踊ってくれて。

私の身体を全部うつわにしてもうけとめきれなかったその熱が、そのままあふれて涙になった。

 

 

 

待ち焦がれていた景色と重なる

夏の空に未来と今

繋がる様に開く花火

君とここでほらあの夢をなぞる

 

「絶対にみんながみたい俺は武道館にあるから」

「俺がみたかったあの景色に、いてください」

 

そうずっとこの景色のために

そうきっとほら二つの未来が

今重なり合う

 

 

 

 

「放牧の民」の名付け親であるフォーゲルさんはオタクがフォーゲルさんを放牧しているように言うけれど、私はどちらが飼われているんだか……ともしばしば思う。

 

フォーゲルさんはこちらに対して感謝こそたくさん伝えてくれるけれど、ああしてとかこれはしないでとか、推し方についてはあんまりどうこう言わない。

お時間があったら、もし見てみようかなって思ったら、それぞれのタイミングで、無理せず、したいと思えるときに、好きなように楽しんでもらって。そういうスタンスの言葉をつかうことが多い。

自分をみているひとそれぞれに現実の生活があることを踏まえた、やさしくて冷静な言葉だと思う。

飼うと言ってもリードで繋ぎ止めるようなことはしなくて、だけどいたいときにいたいようにいられる楽しい場をいつも整えてくれている。

私は彼のこのスタンスを心地よいと感じているし、この放し飼いが成立していることにある種の信頼を感じるのも好きだ。

 

 

そんな彼が、

日頃は 好きなときに、タイミングが合えば、と微笑む彼が、

ストレートに「みてほしい」と声に出す姿は、

そこにそれだけ強い気持ちがあることの表れだと思う。

 

「みてほしい。みにきてほしいです。」

聖誕祭で彼は、武道館公演について、そこにいる自分について、はっきりとそう口にした。

 

 

私にとって印象深い彼の「みてほしい」は、2020年のソロガチャ祭りでGEEKDOMを披露する前の個人放送で言ったものだ。

そのときも今回も、自分のなかからわきあがるものがあって、届けたい思いがあって、みせたいものがあって、

そんなときに彼はストレートに「みてほしい」と言ってくれるのだと思う。

 

「みんなと武道館に行けたらいいなって俺はすごく思ってる」

そう語る彼の声は強くて、熱がこもっていた。

 

 

 

夜を抜けて夢の先へ

辿り着きたい未来へ

本当に?あの夢に、本当に?って今も

不安になってしまうけどきっと

 

「武道館で待ってます」

 

あの未来で待っているよ

 

 

 

 

この一年の抱負として(といっても考えているふうではなかったけれど)、彼は「日常を日常のまま過ごせたらいいな」と言った。

寝て起きたらスキルがカンストしてるなんてことはなくて、でも、だからこそ、昨日より今日、今日より明日、少しずつ日常を重ねて。

 

繰り返しのような日々が

道筋に なってゆ

 

日々を重ねるその姿を、その道のりをみせて。

 

何気ない日々の延長線上にある

難解な (難解な) 難解な道を歩こう

 

そうすれば、2023年3月14日には。

 

気付けば花は咲くか

 

きっとその日々そのものも、その先にステージにいる彼も、フォーゲルというアイドルのかたちなんだろう。

 

ここに立てるのか不安で

目に見える約束もなくて

無我夢中で零した涙

振り返れば道のように輝いてたんだ

 

船が通ったあとにたつ白波は、振り返れば道のように輝く涙と同じだ。

10年かけてアイドルになった、と言う船長と、彼の描く航跡を、

あと1年と4ヶ月、見つめていたい。

 

 

 

 

 

歌詞

SOMEDAY/MeseMoa. (作詞:阿久津健太郎

パシフィック展望台/MeseMoa. (作詞:halyosy

あの夢をなぞって/YOASOBI (作詞:Ayase)

 

選択

 

 

先日推しに送った手紙が、フォーゲルさん(の中の人)の選択についての私の考えをそのまま書いたようなものだったので、このタイミングでほぼ同様の文章を載せてみることにします。

漠然とした憶測を含むのでそういう文章を推しにぶつけるオタクが苦手な方はブラウザバックが吉かも。

 

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MeseMoa.10周年、おめでとうございます。

 

私はフォーゲルさんがこの活動を続けてくれていること、選択してきてくれたことについて思いを巡らせるとき、いつも感じることがあります。

アイドルになってくれて、アイドルでいてくれて、続けてくれてありがとう……そんな言葉じゃ足りない、ということです。

フォーゲルさんがアイドルとして活動することを選んできてくれたことは、それだけの言葉にはつめこみきれない重みがあると私は思っています。

 

 

私が出逢ったフォーゲルさんはもう立派にアイドルを仕事にしていたし、以前のフォーゲル さんのことを私は当然直接みていないけれど、

やりたいことを仕事にして会社で成果をあげていって、同時に踊り手・むすめん。としての活動も加速して……そういった時期がきっとあったんじゃないかと、なんとなく勝手に思います。

 

今の私はフォーゲルさんのファンとして、フォーゲルさんが望む限りフォーゲルさんが居たいところで輝き続けられることを応援したいと思っている立場だから、フォーゲルさんがアイドルになってくれたこと・アイドルとしての活動をここまで続けてくれたことにありがとうと言いたくなってしまうけれど、

きっとそのまま会社につとめていたとしても、フォーゲルさんには幸せとかやりがいとか楽しい時間が待っていたと思います。

というかシンプルに、会社員をやめていつどうなるかわからない仕事につくってどう考えても人生の一大事だし、

想像を悪い方向にふくらませることもいくらだってできるような選択肢だと思います。

 

フォーゲルさんがどんな感覚でこの道を歩こうと思ったのかも、どんなふうにそれが決意や覚悟として固まっていったのかも、何をどれくらい考えていたのかも、私には何も分からないけれど、

私はフォーゲルさんがきっとたくさん悩んだり迷ったり考えたり揺らいだり手放したりしながらひとつの結論に至って決めてくれたそのプロセスに、その時間に、たくさんの感情に、とらなかった選択肢とそこからつながる未来に、敬意をもって、それでやっとフォーゲルさんの選択にありがとうと言えます。

私のありがとうはニコニコして能天気に笑いながら言えるようなありがとー!じゃ全然なくて、何も知らないくせに泣きそうな顔で言う、いろんなものをつめこんだありがとう、です。

 

 

 

アイドルを仕事にしてからもきっとたくさんの選択をなさったことと思います。

私がフォーゲルさんを知ったあたりの時期(2020年の年明け)からも、特に選択の機会は何度もあったのではないでしょうか。

 

フォーゲルさんおひとりだけの話ではありませんが、

ともすれば会社や事業がたちゆかなくなる事態で、そこで何もかも散ってしまったっておかしくなかったと思います。

だけど、いろんなものをなんとかして回避して、どうにか続ける道を歩くことにして。

何かをやるのもやらないのも、きっとたくさんのことに頭を悩ませて決めていく必要があったんじゃないかと思います。

従来のように活動することができなくても、“アイドル”でいてくれて。

いろんなことを投げ出してしまってもおかしくないのに、そうはせずにいてくれて。

 

私達の耳に届く範囲でも、やろうとしていたことができなくなることは何度もあって、

きっと発表もできずになくなってしまった計画もあるんじゃないかなと想像します。

それでもフォーゲルさんは、皆さんは、アイドルを、MeseMoa.を続けてくれたし、

なんなら一歩一歩をより踏みしめるようにして歩いてくれているように感じます。

 

従来通り走り続けることができなくなっても、ただ居るだけでなく強く進んでくれるフォーゲルさんに、やっぱり私は尊敬の気持ちをたくさん抱かずにはいられません。

 

MeseMoa.10周年おめでとうございます。

私のように最近しかみていないファンにも、今いることについて言葉をくれてありがとう。

緑推しをおもって、いろんなことをしてくれてありがとう。

これは私だけの感情じゃない確信があるんですが、フォーゲルさんが「緑推し」って言ってくれること、緑推しは泣くほどうれしいです。

緑推しとたくさん心を通わせてくれてありがとう。

 

 

 

私は先のことをどうこう言うのがあまり得意じゃないから、今は武道館のことも、3月14日に起きる何かより、すでに起きた、“決まったこと”・“発表できたこと”に対して、すごいとかおめでとうとか言いたくなります。

同じように、10年から先のことについても私は何も言えないけれど、この10年、あるいは12年と少しの間、

フォーゲルさんとしてこの道を歩いてきてくれたことに、その過程にあった感情に、思考に、行動に、決意に、敬意をこめて、ありがとうと伝えたいです。

 

 

 

抱えきれないくらいの気持ちを5文字につめこんで、ありがとうって発していることを解説するための便箋n枚(もとい約2000字)でした。読んでくださりありがとうございました。

それでは、フォーゲルさんとフォーゲルさんの大切な人が、心身ともにすこやかにすごせますように。

(あと、梅雨がほどほどでフォーゲルさんのテンションがあまり下がりませんように。)

 

 

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・・・というような手紙をいつか勢いにまかせて下書きして、清書しながら、無意識だったけど歌詞に近いフレーズをいくつも書いているなあと気がついて、それをいろいろこねくりまわしたブログでも書こうと思っていた、んだけど、もういま書くとややこしくてしかたがないからとりあえずこれだけ。

いつもの紅茶にひとくふう

※この記事は MeseMoa.ホワイトデーイベント2022 in 豊洲PIT のネタバレを含みます。って注意書きしたけどたいして書いてなかったわ。

 


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最近いれた紅茶。お花見配信にかこつけて。

 

 

 

ホワイべから日常に戻ってきた。

その週は寒い雨の日が続き、低気圧にダメージをうけない推しを羨みながら仕事をしていた。

最後の一曲、というかその前の白服さんのお話から最後の一曲、を反芻していてふと思い至った。

 

あの白服さんのお話、もし同じようなことを他の誰かが話していたとして、私はそれをちゃんときけるだろうか?

 

 

私はやろうと思えばこの世のすべてにダメ出しできるような、やたら批判的で斜に構えた人間だ。正面から受け取るなんてきっとできない。

なのにあの白服さんの言葉を、あのあすひを、私はまっすぐ受け取って、素直に自分と照らし合わせることができた。

それはもしかして、彼が、彼らが、アイドルだからなんじゃないか?

そして私が彼らを信じているからなんじゃないだろうか?

 

 

 

アイドルがこちらにみせるものは限られている。こちらから知り得ないことも多くて、疑いはじめればキリがない。あのエピソードは作り話かもしれない、大笑いしているのも演技かもしれない、こんな言葉きっと口先だけだ、とか。

だけど私はとにかく彼らがみせてくれるものがすべてだと思うことにして、みせてくれるものを信じる日々を送っている。(信じることについて書き始めたら大変なことになる気がするけど、とにかく信じることにしているのだ。信じたままでいられるのはありがたいと思っているし、推しが彼自身を信じさせてくれるところも好きだ。なにもかも嘘でもそれはそれで良い。

そうやって日頃から彼らを信じるようにしているから、3月5日の金山できいたフリラ最終日のとみたけさんのご挨拶も、ホワイべの白服さんの言葉も、当たり前のようにすっと信じて正面から受け取ることができたんだと思う。

 

 

 

例えば歌手やダンサー、俳優、芸人…etc.は、それぞれが専門とするものを通して、その作品やパフォーマンスでみるひとのこころを動かす。

けれどアイドルはたぶん、そのどれをやったっていい。それがそのアイドル自身のスタイルに合うのであれば、きっとどんな手段を取ってもいい。

みるひとの心を動かすために、ステージで歌って踊るだけじゃなく、自分たちが楽しんでいる姿をみせたり、できないことをみせるときもあるし、そういう姿はみせないというやりかたをとることもできる。なにもフィールドはステージ上に限らない。写真や動画をアップしたりブログを書いたりツイートしたり、あるいはそういうことをしなかったり、そのひとつの手段の中でのみせかただって無限大だ。

 

ホワイべだってそうだった。いろんな手段をとれるって、アイドルの良いところのひとつだなあと思った。

そんなアイドルとして活動するいまも、フォーゲルさんが「踊ってみた」を続けていてくれていることがあらためてうれしい。

きっと、彼のやるべきこと・できること・やりたいことの重なる部分に、踊ってみたがいまもあるんだと思う。やりたいことの範囲に踊ってみたがあるとわかるのは素直にうれしい。12周年おめでとうございます。

 

 

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やろうと思えばこの世のすべてにダメ出しできてしまう私は、自分にダメ出しするのも得意だった。

気づかないうちに自分にダメ出しをしすぎて身動きがとれなくなったこともある。

あのときの私の幸せってなんだったんだろう。思い返しても出てこない。思い出せるのは、今日も仕事が終わらなかったと思いながらパンをかじって乗る終電とか、夜中にごめんなさいと心で言って回す洗濯機とか、寝ても起きても変わらない外の暗さとか。そういえばあの頃の私は、幸せどころか疲れたもしんどいも辛いも感じていなかった。いろんなスイッチをオフにしてまいにちにおわれているうちに、身体が壊れて病院に運ばれた。心も壊れていた。

 

そんなこともあったから、自分の気持ちに自分で気づけることは心がうるおっている証だと私は思う。

 

 

例えばライブをみているときの私は、目の前のステージや会場でおきるいろんな刺激と、それを受けて自分の中に湧き上がる感情を、自分が持つ一番精度の高いセンサーで受信している。

彼らのまぶしさは心を明るくあたためてくれるし、そのひかりで照らされて心に置いていたものがみえてくる。

彼らをみているうちに、日々で磨耗したセンサーが修理されて、オフにしていたスイッチがオンになって、消えそうだった灯がともって、私の心はゆたかにうるおう。

 

3月19日も、自分の日常を抱えながらも豊洲に向かって、日常を忘れてたくさんの非日常を味わって、そして最後、あんなにもキラキラした非日常のはずのあすひが日常でできた心のほころびにしみこむのを感じた。

あしたからまたがんばろう。顔をあげて、よみがえった心を持って帰った。

 

ライブやイベントは非日常だ。だけど推しに関して言えば、こちらの日常に入りこむように日々活動してくれる。

現場で日常を忘れて非日常を楽しむのも、そんな非日常の空間で日常に思いを馳せるのも、日常のなかにふとあらわれる推しに心をふるわせるのも、全部私の栄養だ。

 

 

まいにちにおわれるだけでは、せかいがキラキラほほえみかけていてもめのまえをこころがうつすことはない。

こころがうつせなければきっとせかいのキラキラは受信できないし、それに心が躍ることもない。

 

私が休日、窓を開けて風を感じて、そうだちょうどいいと思い立ってキャンドルに火を灯して、いつかもらった紅茶をいれて、音楽をかけて、本を読んで、手紙を書いて……そんな時間を楽しめるのは、心がうるおっているからだ。

 

たとえまいにちにおわれることに変わりはなくても、それでもあすのひかりをねがうことができるだけで、すこしとおまわりしてみたりいつもの紅茶にひとくふうしてみたりすることができるし、そのきらめきに幸せを感じてまた心をうるおすことができる。

 

直接関係ないように思えるかもしれないけれど、私がせかいのキラキラを受信して“いつもの紅茶にひとくふう”できるのは、彼らのおかげなのだ。

 

 

 

 

 

youtu.be

 

 

ちなみに私はコーヒー派なので「いつもの紅茶」はない。

 

 

うれしいが口ぐせになる一ヶ月

 

『烏合之衆』『アワアワ』『殺生石セッション』発売記念フリーライブ・『烏合之衆』『アワアワ』発売記念特典会が、終わった。

 

 

このリリイベ期間、「うれしい」が口癖になった。

 

 

推しのセンターをお祝いする機会があってうれしい。

お祝いできてうれしい。

推しがみんなにお祝いされていてうれしい。

 

彼が楽しそうでうれしい。

 

彼のセンターをつとめる姿がみられてうれしい。

彼のセンター曲がうれしい。

彼が・彼のセンター曲がこう扱われてうれしい。

センター曲以外でも彼が活躍する場面がたくさんあるフリーライブでうれしい。

 

推しのセンター曲のリリイベがこんなにうれしいものだと知れて、うれしい。

 

 

 

 

私がフォーゲルさんのお名前とお顔を覚えて好きになっていくのは、2019-2020のカウコンで彼がセンターをつとめることが発表されてから2,3週間のうちのできごとだから、私が彼を好きになってからずっと、烏合之衆のリリースイベントは未来にあるものだった。

明日からそれが過去になった世界を生きると思うと不思議な気持ちになる。だってオタクとしての私は2年もその状態で生きてきたし、未来に烏合リリイベがない世界を生きるのは初めてなのだ。

 

 

 

2020年夏、烏合之衆の次の新曲の制作が発表されたとき、

それ自体はよろこばしいことだしこの状況で前に進めるなんてなおさらすごいことだ、でもそれはそれとして烏合期間が終わってしまうのは寂しい、新曲が披露されても烏合はこれからもずっと大切だよ、それにまだできていないリリイベが終わるまでは烏合期間が完全に終わったわけじゃないと思うし……と複雑な気持ちを抱いた。似たような感想をこぼす緑推しもみかけた記憶がある。

 

 

 

4月の幕張で披露されたときは、ライブのひとつのクライマックスと言っていいくらい、エネルギーを注ぎ込んだ演出が施されていた。

りっぱな映像に音源のアレンジ、照明だってかっこよかった。センターステージから花道を駆け抜けメインステージへ、高所もつかって、特効まで!

パフォーマンスもさることながら、推しのセンター曲が、あんなにもかっこよく、豪華に、特別に扱われたことが、うれしかった。

 

 

 

LOST NUMBERツアーでは、こういう情勢になってからは初めての関東外でのライブが開催された。

薄々感づいてはいたけれど、“行ける人”は行こうと思えば遠征にも行けるしいろんなものを何回も生でみている、行けない人はなかなかどこにも行けない、という状況になっていた。私の観測範囲では。

“行ける人”の中では、だんだん烏合が特別なものでなくなってきている雰囲気も伝わってきた。

それはきっと、感動が薄れたとかではなく、例えばライブ定番曲になっていくような良い変化であったと思う。

 

だけど私はそれを感じていなかったし、私の中ではまだまだ特別だった。

何回だって「烏合を生でみるまではしねない」と言ってきたし、本気でそう思っていた。

 

 

 

2021年9月、“センター”が明言されるタイプの新曲の制作が発表された。

その頃には私はライブに足を運べるようになっていて、中野サンプラザでとみたけさんと薄桃推しのみなさんに心から拍手をおくった。しあわせに泣いた。

 

私が「この人がセンター!」と発表される段階から体験するのはこれが初めてだったから、そこから殺生石セッション(のとみたけさん)と烏合之衆(のフォーゲルさん)を重ねる日々を勝手に始めてしまった。

お披露目までの期間に不安をこぼすとみたけさんをみては、フォーゲルさんはどうだっただろうかと思ったし、

自分がリリイベを楽しみにしていることを自覚しては、これが突如なくなったらどんな気持ちになるだろうかと想像した。

 

 

それから、“センター”というものの私の中での解像度も上がった。

とみたけさんがセンターの殺生石セッションは、「とみたけさんがセンターだからこうなった」という要素がたくさん感じられた。

楽曲自体はもちろん、振付やMV、衣装だってそうだ。

ただ立ち位置が真ん中だとか目立つとか、そういうことだけじゃない、

関わるひとみんなの頭のまんなかにとみたけさんがいる。

私は殺生石セッションのとみたけさんの“センター”にそう感じた。

 

 

 

殺生石の特典会で、私はまだ烏合を生でみたことがないとフォーゲルさんに話したとき、ネタバレではないもののきっとカウコンでやるんだろうなと読み取れる、大人の匂わせみたいな会話が続いた。

だから2021年12月31日は、ついに私の目で烏合之衆をみる日が……と思いながら水道橋に向かった。カウントダウンなんて二の次だった。

きっと泣いてしまうけれど、涙が流れても気にせずこの目でみつづけるんだと決めていた。

 

幕張のあの演出で、烏合之衆が始まった。ああ、りっぱに特別に演出されている。その扱いがうれしい。

かっこいい。推しの声、頼もしい背中、配信にのらない推しの姿、全部生で、自分の目で耳で、ずっと感じていられる。

全部おぼえていたいのに、その瞬間をとらえるのに精一杯だ。ペンライトを振る余裕なんてない。

 

5分もある曲なのにずっと泣いていた。手に力が入りすぎて、握ったペンライトがきしんでいた。

 

 

 

幕張ではGALAXY.5を、カウコンではそれらも含むこの2年を取り戻すような演目・演出がたくさんあった。

このところの公演は、今まで配信でしかみられていなかったけど今回初めて生でみられて……というひとがいることを前提につくってくれているんじゃないかと感じる場面が度々ある。

 

フォーゲルさんは2020年11月の烏合之衆有観客初披露後に投稿したブログにこう記してくれている。

https://lineblog.me/musumen/archives/8454114.html

 

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個人的な気持ちとしては

今回初披露はできたけど

また会場に人を入れて披露できる機会が

あった時は、初めて見てくれる人がいるって

言うことを頭に入れて気合い入れて

センター曲を披露するし

緑推し・イルミィが全員見たかもって

思うまでいつだって初披露の気持ちで

歌い踊らせてもらうつもりでいるから

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有観客初披露後のブログなのに、その場にいられなかった層にむけた言葉が並んでいる。

 

翌月の特典会でフォーゲルさんとおはなししたとき、これが本心だとあらためて伝えてくれた。

実際、この初披露以降も本当にちゃんと気合が入っていることが伝わるパフォーマンスをし続けてくれた。

だから、このブログの言葉は嘘じゃない、きっと今も思ってくれている、とずっとずっと信じていられた。

 

お披露目以来配信で何回もやってきて、外部イベントでも披露して、表現の段階が上がって、みえかたの幅が広がって、観客の目の前でも何度もやって、特別な演出がついたりもして。いろいろな烏合之衆を、画面を通してみてきた。

こんなに回を重ねていろんな烏合之衆ができるようになってなお、これが誰かにとって初めて生でみる烏合之衆かもしれないという姿勢が消えることはなかったと思う。

毎回そうやって気合十分で演ってくれるから、私は自分が初めて烏合之衆を生でみるのが発表からちょうど2年のカウコンだったことも、笑顔でおいしく味わうことができる。

 

 

 

そしてその、2022年を迎えたカウコンで、今回のリリースイベントが発表された。

 

私が彼をみてきた期間のほとんどが、予定されたことが実際にその通りできるかなんて分からない世界だった。予定通り開催されて終わっていくことがすごいこと、よろこばしいことだと、私も知っているつもりだ。

 

だから、終わるのは、すごい。でも、終わるのは、さみしい。

 

 

 

 

初日宮城。

予定通りリリイベの幕が上がってうれしい。

 

 

思うようにライブが開催できないことが続いた大阪。

自分の身近な土地で烏合がきけてうれしい。

 

 

以前のフリーライブのように商業施設で開催された福岡。

初めて屋外で披露されて、いろんなひとの目や耳にこの曲が届いてうれしい。

 

 

東京は池袋、サンシャインシティ噴水広場。

360度下から上までたくさんのひとのど真ん中で舞う推しが楽しそうでうれしい。

 

 

ラストの愛知。

お披露目予定だった地で、2年越しに完走できてうれしい。

 

 

重なって響く歌声、揃う足音、立ち止まるひと、読み慣れない「め、せ、も、あ?」。

 

 

あなたがだいすきなメンバーと

あなたがだいすきなメンバーをだいすきなみんなと

あなたをだいすきなわたしたち、

そのまんなかで舞う楽しそうな姿。

 

あなたはこんなにも、まんなかが似合う。

 

 

 

 

2020年3月6日、“推し”という概念がなかった私は、FCの推しメン登録欄でフォーゲルさんを選ぶと同時に、自分の推しはフォーゲルさんだと初めて認識した。

MeseMoa.を応援したくて、フォーゲルさんを応援しているひとがここにもいると伝えたくて、『烏合之衆』を買って、サインチェキに「みどりおしさんへ」と書いてもらった。

 

それから2年。

2022年3月6日、『烏合之衆』の発売を記念したイベントがすべて終わった。

 

 

 

 

このリリイベ期間の特典会で、2年越しだからこそ私がリリイベに参加できたことについてフォーゲルさんが触れてくれることが何度かあった。

「間に合ったみたいなとこあるよね。もしあのままやってたら、来れてた?」と、今だからこそ私が来られたことに笑顔をくれた。

「この期間があったからこそみられたひとがいる」と、私がそうだからこそ伝えてくれた。

 

フォーゲルさんは烏合リリイベのことを「二度おいしい」と言ってくれた。

苦いことだってたくさんあったはずの2年間を、“二度”になったことを、おいしいと言える材料のひとつになれていたら、うれしい。

 

 

 

 

 

 

 

緑推し ――わたしの推し:MeseMoa.フォーゲルさん

特別お題:わたしの推し





2020年、 わたしの人生に「推し」 が初めて登場した。
個人的に、推し始めて何日、という計算をするときは、ファンクラブの推しメン登録欄でフォーゲルさんを選択した日から起算することにしている。
それが彼を「推し」として捉えたおそらく最初の機会だからだ。
わたしの中で彼が、 他のなんとなく好きなもの・こと・ひとから一線を画す存在になった日とも言える。

某最大手事務所界隈では、グループの中で特定のメンバーのファンのことを「(メンバーの名字)+担」のように言うことが浸透していると思う。
わたしの推しが所属するグループMeseMoa.においては、「(メンバーカラー)+推し」という言い方をすることが多い。翡翠推し、茶推し、薄桃推し…(変わったのを並べているのはわざとです)(例なんだから赤推しとか黄推しとか書きなはれ)
わたしの推し、フォーゲルさんは緑色担当なので、彼のファンは 「緑推し」。

わたしには、紛れもなく彼を好きで、彼を応援しようと思っていて、だけど「緑推し」が指す範囲に自分を入れていない時期があった。


2020年2月末、例のウイルスの影響で人が集まるイベントができなくなったと同時に、わたしは彼を応援することを決意した。

ちょうどその時期に予定されていた、フォーゲルさんが表題曲のセンターをつとめるシングルCD発売を記念した数々のイベントは、ことごとくできなくなった。
それをひっさげて全国をまわれるはずだったツアーも、同じく。
彼らは自分たちでおこした会社――あえて言い換えるなら小さな事務所――に所属している。イベントができなくなったことが大打撃なのは、外野の目にも明らかだった。

このまま彼らの活動の場が奪われてしまうのは、いやだ。彼らが望む限り、彼らが輝くステージをまもりたい。

そう思ってCDを買った。『烏合之衆』だ。
フォーゲルさんがセンターをつとめるそのシングルが、わたしが初めて買ったMeseMoa.のCDになった。


それからわたしは、彼らの配信ライブをみたり通販でグッズを買ったり、オンラインでお話できる機会に参加したりTwitterでリプライを送ったり、と、SNSや無料配信を遠巻きに見るだけにとどまらない範囲に踏み込んでフォーゲルさんを応援するようになった。
けれどわたしはなかなか自分のことを 「緑推し」と捉えずにいた。

特に「支えてくれた緑推し」等のフレーズをきく度に、ここでいう「緑推し」にわたしは入らないな、と自分を排除していた。
だってわたしは彼を長年支えてきたわけでもないし、センター曲を首を長くして待っていたわけでもないし、イベントができなくなった悔しさも味わっていない。
そういった文脈の「緑推し」に当てはまらないというだけでなく、 自分は「緑推し」 と名乗るに足る気がなかなかしなかった。
それまで彼を応援してきた 「緑推し」の方々と自分を十把一絡げにしてしまうのは先輩方に申し訳ないし、
生で彼のパフォーマンスをみたことがないから「フォーゲルさんってライブ中こうだよね」と自信をもって語ることもない。

何ヶ月も、「緑推し」 と言われる範囲に自分がいるとは思わずにいた。



2020年8月、彼のお誕生日を迎える放送を経て、わたしはもっと彼の発信したもの・表現してくれたものをちゃんと受け取ろう、と思うようになった。
詳しくは以前の記事に記したから割愛するけれど、これを機にわたしは、自分も 「緑推し」 の範囲に入っているんじゃないかと思えるようになっていった。
彼が緑推しに届けようと全力投球したボールを、これはわたしに向けて投げられたものじゃないと決めつけてキャッチしないのはやめよう、と。




わたしがフォーゲルさんのお顔とお名前を知る10日ほど前のカウントダウンコンサートで発表された彼のセンター曲『烏合之衆』を、その2年後のカウントダウンコンサートで、わたしはやっと生でみることができた。
それにまつわるあれこれはまた別の機会に書くとして、ここではとにかく涙が止まらなかったことだけ書いておきたい。目に焼きつけることに精一杯で、ペンライトなんて振れやしなかった。 想像よりずっとずっとうれしかった。

その2021-2022のカウコンで、一度できなくなってしまった『烏合之衆』のリリースを記念したイベントがあらためて開催されることが発表された。
会場でその告知映像を見るわたしの脳裏にあったのは、緑推しの先輩のみなさんのことだった。涙は出なかった。
他推しさんに年が明けたことより先に烏合之衆おめでとうと言ってもらったときも、初めて生でみられたという主旨の返答をしてしまった。

もともと、いつか『烏合之衆』のイベントが開催されるときがきたら、当時チケットをもっていた緑推しさんが当時の予定通りちゃんと参加できると良いな、と思っていた。
自分は本来の予定通り開催されていたらおそらくその場にいなかったのだから、と、自分のこととして捉えるつもりもあまりなかった。

会場で初めて知ったときに涙が出なかったから、わたしはこのことに関しては泣かないんだなぁと思った。
もともと考えていた通り、本来いなかったはずの存在のわたしはこのことに何も言うことはない、言えない、ただただフォーゲルさんと緑推しの先輩の方々おめでとう、とだけ思っていた。



年始、わたしはカウコンの配信アーカイブを自宅でひとりで視聴していた。
現地でも見た告知映像が始まった。
内容もわかっているしスキップしようかと思っていたその告知を結局きいて、わたしは気がついたら涙をぼろぼろこぼしていた。

映像に合わせて開催情報を読み上げる彼のよろこびいっぱいの声。
告知映像が終わり再び明るく照らされたステージで、やったーとかよっしゃーとか、そんな言葉が似合う表情で腕を何度も前に突き出している姿。

嬉しい。彼が嬉しそうで嬉しい。彼が祝福されていて嬉しい。やっと彼をちゃんとお祝いできる!



自分だけの空間でやっと、自分の気持ちを捉えることができた。
そしてひさしぶりに、「緑推し」から自分を外していたなあ、と気づいた。


そういえばカウコン後、メンバーによるお見送りがあった。
互いに言葉を発せない、目の前を通り過ぎる一瞬、フォーゲルさんはそれまで振っていた両手を胸の前で合わせてくれた。
わざわざ動作を変えてくれたのはきっと、わたしが「緑推し」だからだ。
そのとき彼が投げてくれたボールを、わたしは数日後にやっとキャッチすることができた。
彼の表現してくれたものを全部受け取りたいと表明するくらい貪欲なオタクのくせに、そうやって彼がわざわざ特に伝えようとしてくれたものを取りこぼすところだった。
だから今度こそ。


他の誰のものでもない、わたしの心で、「わたしの推し」を推そう。